今日は残り戎
昔、実家が飲み屋を営んでいて、毎年、父親に連れていかれた堀川戎神社(大阪市北区)へ
その前に、因縁の神社に寄ることに
大阪梅田の東すぐのところにありました

因縁というのは、昔々、この近くに実家(飲み屋)があって
この辺は、子どものころの遊び場で、
JR環状線高架横のひっそりとした神社でした
社殿の前に段ボール箱を置いて、夜な夜なお賽銭の回収に伺っていました
10円硬貨など入っていてお小遣いになりました(やってはいけませぬ)
そんな因縁があり、お預かりした分を返しておこうと・・・・
周りはすっかり変わりましたが、確かにこの場所でした
初めて知りましたが、綱敷神社の末社で「歯神社」

綱敷神社は実家のすぐ近くにあって夏祭りなど楽しんだり、遊んだりしてた神社で、その系列とは知りませんでした
しかも「歯神社」
歯に悩まされた人生でした(歯の手入れをまったくせず、30歳すぎに歯医者で治療してもらったきり、40年ほどご無沙汰)

こちらは、その綱敷神社
ここを訪れるのは50年ぶり
ここから「商売繁盛で笹もってこい」の堀川戎神社へまわり

昔懐かしい1日でした

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Thoughts on 因縁の歯神社
says...
「歯神社」ネット検索しました。「歯止め」が転じて「歯の神様」になられたんですね。さすが大阪 神様も商売上手ですね。
今回のブログはいろんな意味で楽しめました!地図がないので(ましてや方向音痴)どういう経路なのかは ちょっと分からないですが、それでも自分で歩いて回った気になりました。
それと枯木さんのわんぱく時代の話。私達の子供の頃は大人達が子供の事にまで気が回らなくて 子供は子供の世界で上下関係(歳)が出来ていて うまい具合に成り立っていた。そんなに凶悪な事は まぁしないので そこそこの事は大目に見ていたって感じですかね。今でも兄から小さい頃の男の子達の世界の話を聞いて 大笑いします。今だったら きっと問題になっているだろう事もたくさんありますが 大人達の大らかな態度に スリルを味わいながら また のびのびと遊んでいた事を懐かしく思い出しているようです。
私の生まれ育った(実は今も居ついてしまっていますが)地区は漁村で 漁師さんのお陰で繁盛していた村です。恵比須神社が私達の神社です。氏神さんではありませんが 氏神さんより身近です。海が見える ちょっとだけ高い所にあります。よくチャンバラごっこをしました。
私は「昭和30年代は良かった」というのには賛同出来ません。「あの頃は良い時代だった。」という声を聞くと そう言っている人は良い境遇だったのだな?と思います。だって悪い事いっぱいあるもの。でも、子供の放課後、休日、近所の子たちと遊んだ思い出は 確かに「あの頃は楽しかった」です。
今日のブログは そんな事も思い出させていただきました。枯木さんと年齢が近い事もありますね。
ありがとうございました。
says... わにばしり さんへ
のらちゃんが、実家の床下に住み着いて子どもを6匹生んで
大きくなって、知らぬ間にいなくなったり、もらわれていったりを繰り返していました
魚のアラや、お客の食べ残しで育っていましたが・・・
間引きが必要で、捨てにも行きました(ごめんなさい)
ある日、中学校から帰って、家で猫に紙袋につめこんで、ぐるぐるまわして、遠くへ連れて行って離して来ました
レンガでスズメとりを仕掛けたりして家へ帰ると
捨てた猫が先に帰っていました
その猫から代々繋がって昭和40年頃まで、猫が床下にいましたね
空地には三味線用の猫捕獲の木箱がよく仕掛けられていたころの話です
says...
歯神社行ったことないですねー。歯が悪いので、ちょっとお参りしますかねー。
says... TORU さんへ
歯というのは語呂合わせみたいなものらしいですよ
昔々、淀川反乱で水が迫ってきたとき、この神社の大石がせき止めた→歯止めになった→歯にきく
どちらにしても信心ですからね