13日目 9月9日 晴れ 走行 92.2k AV12.2k 三陸町→南三陸町 【南三陸町ボラセンテント泊】
自然の美しさと脅威と
4時30分起床

朝食
カセットを使えるバーナーはなかなかいい
ラーメンとパン食べて、6時出発

国道45号(浜街道)
国道も新しく立派なのは「自動車専用道」
自転車は旧45号の道へ、これがクネクネ、峠がキツイ、でも自動車ほぼいなくて安全

大船渡市街地手前
まったく震災被害など考えられない風景、津波が襲っていないところは、だいたいこんな感じ
そして坂を下り海が近くなり、漁業の町の市街地が近づいてくると

大船渡市街地入口付近
被害にあった跡地が増える

大船渡瓦礫
そして生活の匂いがする瓦礫の山

大船渡

大船渡
津波が襲った時間で止まった時計

大船渡
この辺が大船渡の中心街

大船渡

大船渡

大船渡湾入口
こんな狭いところから津波が襲ってきた
ここから180mの峠を越えると「陸前高田」

陸前高田

陸前高田
4階まで津波がきている

陸前高田

陸前高田

陸前高田
この辺は地盤沈下が激しいらしい

陸前高田

陸前高田

道の駅「高田松原」
各地でお世話になる「道の駅」、「高田松原」

陸前高田看板
鉄塔上の看板、ここまで津波がきた。想像を絶する

陸前高田一本松
一本だけ残った海岸の松

陸前高田気仙中学校
国道45号線は、陸前高田を過ぎると、宮城県入りとなる

宮城県へ
そして気仙沼市

気仙沼唐桑
仮設住宅のおばさん
「ここは同じ村の者ばかりだから声を掛け合っている。台風も大雨もこないし、いい所なんだけどねぇ」

気仙沼市街地
気仙沼は大規模な火災にも見舞われている
残った建造物も赤茶けている

気仙沼市街地

気仙沼市街地

気仙沼市街地

気仙沼市街地
津波で押し寄せられた大型船、市街地に置かれたまま

気仙沼市街地エースポート

気仙沼河北新報社

気仙沼市

気仙沼市国道45号線
国道45号線は、東日本太平洋側の基幹道路
震災関係の車で停滞が頻発している

気仙沼国道45号線にて
学校帰りの元気なこどもの姿を見るとホッとする

気仙沼小金沢
潰れた小屋片付け中の女性
「この辺全部海になって流された。海は、そこの峠越えて向こうまでいった」
「手をかけた植木ほど枯れる、このヒマワリ流れてきた」
「村でやられた所と、そうでない所と、これから差がでてくる」
「田んぼも畑も肥沃なところ、全部津波に持っていかれた。あとはガラスの破片なんかばかり」
「漁師の人達も魚とって売るところがなく近所に配ってる、金にならない」

歌津

歌津
三陸鉄道は、どこの市町村でもズタズタ

南三陸町志津川
志津川も空き地だらけ、真新しい電柱が、やたら目立つ
途中、目星を付けていた野営場所も、すべてテント設営できそうもなく日没が迫ってくる
最後は道路わきにでも、と思いながら走っていると

南三陸町ボランティアセンター
道端にテントの列、「南三陸町ボランティアセンター」だ
話をして、テント設営させてもらう
14日目 9月10日 晴れ 走行 111.5k AV13.9k 南三陸町→石巻 【道の駅「上品の郷」テント泊】
六ヶ月経過しても壮絶な現実と、壮絶な事実が
4時40分起床、5時30分出発

南三陸町BC
すぐに志津川市街地に入る

志津川町
言葉を絶する

志津川防災庁舎
国道45号線から海の方向に見える赤茶けた鉄骨3階の建物が「志津川防災庁舎」
軽乗用車の男性
「宮城県の人間だか、フルカワにいるが、震災後、今日ここへ初めてきた。あそこで最後までマイクで津波避難誘導したんだなぁ」

志津川町

志津川町

公立志津川病院
「公立志津川病院」、ほとんどの入院患者が高齢者で自主避難困難
一番上の4階まで津波が来た、多くの患者や病院の看護師が亡くなられた
屋上への避難が間に合わず、ベッドごと流された患者さんもいた
壮絶な混乱と避難への戦いがあったのだろう

志津川水門

陸前戸倉
ひとつ南の村が「陸前戸倉」
流されて潰されて撤去されて真新しい電柱と雑草ばかり

陸前戸倉
瓦礫の山と草むらのなかには放置された車がめだつ
ここから石巻まで山側にはいる国道45号を離れて、海岸線まわりの国道398号をとる

国道398号線水戸辺
地盤沈下が著しい

相川漁港
被害の跡が見えない、穏やかなところもある
地形と方向の関係か、不思議だ

北上川標識
北上川の河口付近にグチャグチャになった「北上川標識」

北上川河口
海岸線の国道398号で女川から石巻に入ろうとすると
北上川を跨ぐ「新北上大橋」を渡るが、ここが震災以来、いまだに不通
片道15キロ、川上に迂回しないと対岸へ行かれない

新北上大橋
迂回後、川下へ15キロ、やっと「新北上大橋」対岸へ
この橋の袂が、大川小学校の生徒たちが避難しようとしていた場所

大川小学校
海や川は校舎にかくれて、運動場が広がる「大川小学校」
写真の右側には、すぐ裏山があるが・・・
無念でならない
大川から峠ひとつ越えると石巻市雄勝町

石巻市雄勝

石巻市雄勝
雄勝公民館の屋上にバスが流がれついている
考えられない光景だ

石巻市雄勝

女川街道沿いの小集落

女川街道沿いの港
この辺も、地盤沈下がそうとう酷い
石巻市街地への手前が原子力発電所のある女川町
原発は半島の向こう側なので行けない

女川町

女川町

女川町

女川町

女川町
石巻駅近くのボランティアセンターに友人が常駐しているので会いに
その後、今晩の宿泊地に決めた、道の駅「上品の郷」へ
ここは温泉併設なのだ、うれしい!

道の駅「上品の郷」
15日目 9月11日 曇り 走行 93.8k AV15.1k 石巻→名取→仙台 【カプセルホテルキュア国分町泊】
無事だった松島、被災とは紙一重
5時30分起床、私も含めテント4張り
6時出発

道の駅「上品の郷」

石巻市街地
駅周辺の石巻市街地は割と建物が残っている
でも、よく見るとみなやられている

石巻市街地

石巻市街地
が、海側の門脇町、南浜町にくると
壊滅状態
この辺は、地震、津波そして火災でやられた

石巻市南浜

石巻市南浜

石巻市南浜

石巻市立門脇小学校
教員らしい方
「この辺の荒地には、たくさん家があって、子どもはみなこの小学校に通っていた」
「3階は流れてきた車や瓦礫でやられている」

石巻市南浜

石巻市南浜

石巻市矢本
この辺は、いちめん稲が育っているはずだが・・・

東松島市鳴瀬川沿い
270もの島が湾内に広がる松島に近づくにつれ、被害のないところが増える
ここもいちめん稲が育っている、紙一重だ

野蒜駅前
松島湾への疎水沿いは、津波が押し寄せたのか、野蒜駅前はこのとおり

県道27号線

県道27号線
「この辺の防潮堤は、警戒していたが越えなかった、でも地面の方から湧いてきた」

松島
12時、日本三景のひとつ「松島」着
まったく無事
普段どおり、何もなかったかのような風景、観光客が行きかう

松島五大堂

松島マリンピア前
松島をあとにして塩釜市へ向かう

塩釜市魚市場
塩釜市魚市場はほぼ無事
釣りのおじさん
「三陸の魚市場で一番暇なところが、一番無事だった」
県道10号で南下、名取市をめざす
震災直後、ヘリコプターから内陸部へさかのぼる津波がとられたところだ

名取市
海岸から内陸部まで、住宅地や農家、田畑が広がる
ここを津波が内陸へ内陸へと襲った

名取市
高く伸びた雑草の間に、流された車や船があちこちに

名取市

名取閖上中学校
この中学校の前で、多くの人が津波に飲まれた

名取市

県道歩道上のヨット
今回は、名取で仙台市内へ引き返すことに
帰り道も歩道に流れてきたヨットが放置されたままだ
16日目 9月12日 曇りのち晴れ 走行 21.8k AV11.9k 仙台→仙台港~ 【太平洋フェリー泊】
三陸の厳しいアップダウンが感じないほど、現実はきつかった
5時30分起床、6時出発

JR仙台駅
JR仙台駅に寄ってから仙台港周辺へ

宮城野区岡田
ここら辺も海に近いほど被害が大きい

宮城野区岡田

仙台フェリーターミナル
11時、太平洋フェリー仙台ターミナル着

津波高さの表示
ここを襲った津波の高さが乗船桟橋の鉄柱に
12時50分、名古屋港へ向け出航

仙台港に打ち上げられた船舶
プラットホームへ流された船舶や瓦礫の山を見ながら仙台港を離れていく

仙台港の瓦礫

離れ行く仙台港
17日目 9月13日 晴れ 走行 16.4k AV16.6k ~名古屋港→JR名古屋駅~高槻駅
食べて寝れること、それを心配しないことが、如何に大切で脆いものか
どうも日が昇る直前に起きる癖が・・・
「きそ」フェリー内部をパチリ
今まで乗ったフェリーで一番豪華

きそフェリー

きそフェリー

神島
伊勢湾入口の「神島」、もう伊勢湾

伊勢湾岸自動車道
ブリッジを通過すると、名古屋港フェリーターミナルはもうそこ
10時30分に予定通り名古屋港入港
同じフェリーに乗り合わせた、本州分割縦断中の神戸女子大「のんさん」と名古屋駅まで並走
意外と距離がある
名古屋から新幹線で地元高槻へ無事帰還

にほんブログ村

スポンサーサイト
Thoughts on 【後編】太平洋(苫小牧から仙台)チャリ旅《六ヶ月経った地震津波被災地》
says...
たくさんの写真をアップしてくださってありがとうございます。報道では見られない写真ばかりで、心うたれます。
途方に暮れる瓦礫の山ですが、いつかきっとさらにパワーアップした土地になると私は期待しています。
says... 見るだけでぞっとします。
やっぱりみるだけで目をそらせたくなります。
でも、現実なんですよね。怖いですね。
says... 順天姉 さんへ
大きな企業が復興の美味しいところだけ持っていかないか心配
自然も人間もいいところなんで、なんとか、元の日常にと思っていますが・・・
says... Re: 見るだけでぞっとします。
Kaol+Supplさん、悲しいけど現実なんですね
被災地の皆さんは、毎日、現実と向き合われているんですね
私たちも毎日向き合うって訳にはならないので、
よそへ行くなら東北へ旅行するとか、食べたり買ったりするなら東北のものとか
長続きする支援をしたいものです
says...
たいへん興味深く拝見させていただいております。半年たってもお写真の如き風景・・・。言葉が出ません・・・。
旅のご無事をお祈りしております。
says...
かなり走ると思ていたら凄く早起きなんですね。
震災の爪後にまだまだ復興への道筋は遠いことを実感しました。
もっともっと政府が本気になってくれないと先に進めませんね。
遅ればせながらリンクさせていただいていいですか。
チャリダーさんのブログはとても興味がありますので
自分がチャリダーになった気分になれます。
says...
こんばんは。
初めてコメントします。
陸前高田、大船渡まったく想像を越えたものがあります。
写真紹介ありがとうございました。
震災後、仙台の海寄りの被災地には行き、言葉もなかったのですが、更に想像以上です。
何とか復旧してほしいものです。
says... 残骸
こんばんは^^
涙が出て来ます。大震災の前年に妻の両親が住む
岩手の遠野へ家族で出掛けたものですから、余計
です。マスコミとは違う意味で、心に響いて来ます。
ありがとうございます^^
says... wooさんへ
台風15号まで、大丈夫かな
地盤沈下が激しいので心配です
私もお邪魔しています
演奏は、どの方でしょうか?
says... ユッカリンさんへ
ありがたいです、リンクよろしくお願いします
早く起きる理由は
①歳とともに早起きになる
②基本的に一人なんで、暗くなるとすることもなく早く寝てしまう
③道の駅の方がこられる前に、地元の方がこられる前にテント撤収のため
④昼からは走りにくい(交通量、暑い、午前で体力消耗)
まぁ、原始的な自然の生活パターンに必然的になるんでしょうね
今でも日の出前に起きる「後遺症」に悩んでいますぅ~
says... Romanさんへ
コメントありがとうございます
六ヶ月経っているんで、私も、未だにこんなに厳しいとは思っていませんでした
複雑にからみあっているでしょうが、津波被害地と津波がこなかったところは、紙一重
何とか元の日常に戻ってほしい
says... Re: 残骸
はなさかすーさん、コメントありがとうございます
津波被害で荒廃し瓦礫となった真ん中で、なんとも云いようのない感情になり
涙ぐんだことが何度もありました
その場所、その場所で、生き様があり、生死を別けた現実があります
私には、なんにも出来ませんが・・・
早く元の生活を取り戻せることを祈るばかりです
says... 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
says...
早速リンクさせていただきます。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
体力を消耗しないように気を付けて走っている訳ですね。
says...
大切な想いを 枯木チャリダーさんの写真と言葉からいただきました


ありがとうございます・・・
子供たちの写真・・・
その笑顔守っていきたいです。
これからも・・優しくあたたかな旅 続けてくださいね
says... 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
says... 夢織工房しゃんなさんへ
コメントありがとうございます
被災後六ヶ月の状況です
地元中小の商店、再建するにも家も流され担保がなく融資が受けれない現状の報道がされています
このままでは、地元経済が回らなくなり地域が衰退していくのではと心配です
says... ユッカリンさんへ
こちらこそ、よろしくお願いします
says... こころ✿ さんへ
コメントありがとうございます
子どもって、ストレスを溜め込んで演技のときもありますが、
どこの国でもどんな状態でも、その場その場で元気ですよね
その笑顔と元気に大人は救われます
says... Re: 初めまして
koaporoさん、コメントありがとうございます
素人のわたしも正直、これは大変だと思いました
これに放射能の問題が深くかかわって長期になるのではと心配です
says...
こんにちは。
私が知っている所ばかりが出て来て涙が出ます。
閖上地区は私も行きました。
北の方が酷いですね。
石巻は父方の実家があり、野蒜は子供の頃からよく行った所。
国がもっと力入れてやらないと復興なんて出来ないですね、これでは!
よく走ったと感心しております。
says... サラームさんへ
コメントありがとうございます
実際に直接、見たり聞いたりすると、その後もすごく敏感になります
帰宅後も新聞やテレビなどで報道されたりすると、地名などで釘付けになります
地域で暮らしていける環境が整うには、相当時間がかかりそうに思います
それまでは国の全面的な支援が不可欠でしょうね
says...
たくさんの人たち、生きものたちが
あっというまにのまれてしまったのですから
自然の脅威を痛切に感じます。
それとともに私たちも自然のなかに
いつもいるのだなあと思います。
「自然を克服してきた。」と誰かがおっしゃっていましたが
到底そんなことはできないようです。
心を打つ写真をありがとうございました。
says...
何度見ても胸が詰まります。。。
says... ひょっこさんへ
コメントありがとうございます
「自然を克服」はできないですね
孫悟空ではないですが、いくら筋斗雲で遠くまで飛んでも、所詮、自然の手の中
如何にうまく付き合うか、共存するか、ですよね
says... くまこ”さんへ
前向きに忘れない!
思い切って忘れない!
悲しいから忘れない!
says...
初めまして、こんにちは。
私は、札幌に住む自転車が趣味のものです。
子供の頃、東北に住んでいました。
この記事と、この写真に、
心がぐっときてしまいました。
防災庁舎の写真、テレビで観ました。
当たり前の様に、食べ眠っていることを、
大切なことだと思い知らされます。
says... niko nikoさんへ
コメントありがとうこざいます
本当に「日常」は、空気みたいで、日頃、考えませんが大切ですね
早、く震災津波被害地に「日常」が取り戻せますように願わずにいられません
今後ともよろしくお願いします