11月12日
CYCLE MODE2011 インテックス大阪へ

会場は例年に比べ、女性の比率が高くなっているし、年齢層の幅も広がっている感じ
展示の方は、部品や小物、服などの関連物の展示がすごく増えている
自転車もシクロやランドナーが多くなったようだ

サイクルモード2011大阪_convert_20111113104657
サイクルモード2011大阪

1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ_convert_20111113103405
1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ

1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ2_convert_20111113103436
1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ

基本的には現代と同じ仕組み

1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ4_convert_20111113103535
1946年コンクールデュラルミン優勝車アレックスサンジェ

ブレーキシューは木製なんだぁ





「インテックス大阪」は大阪南港の埋立地にあって、自転車で行くには経路が限定されている

今回は「水の都大阪」バージョンで大阪南港へ






JRで「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」の従業員が乗降りする「桜島駅」へ輪行
そこから



【 一つ目 】 天保山渡し船

天保山(港区築港三丁目)と此花区桜島三丁目を結ぶ(岸壁間400メートル)位置に天保山渡船場がある。明治38 年に開設されたこの渡しは、大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として始めたもので、昭和15年までは市の港湾部が所管していた。当初は天保山、桜島、築港大桟橋の間を三角運航していたが、大阪港の繁栄につれて利用者が増え、築港桟橋を基点に木津川、尻無川方面にも運航区域を広げ、大正11年に天保山桟橋が完成して内航客船が発着するようになってからは、天保山~桜島間を終夜運航した時代もあったが、昭和元年には現在のルートになった。昭和初期には桜島付近の重工業化が進んで通勤用としても利用された。昭和12年12月1日午後9時ごろ、渡船が突風にあおられて転覆、軍需工場帰りの乗客53人の犠牲者を出す事故があった。昭和15年に経営は土木部(現建設局)に移され、現在にいたっている〔大阪市HPより〕

天保山渡船1_convert_20111113103604
天保山渡船

天保山渡船2_convert_20111113103628
天保山渡船

向こうに見えるは、天保山ハーバービレッジにある世界最大級の大観覧車、右端の赤っぽい建物は、世界最大級の水族館「海遊館」



日本一低い山「天保山」に自転車押して登りました

天保山_convert_20111113103702
天保山

国土地理院公認 標高4.53m



【 二つ目 】 甚兵衛渡し船

昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。「摂津名所図会大成」に『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったという。
 現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航している〔大阪市HPより〕

甚平衛渡船1_convert_20111113105409
甚兵衛渡船

甚平衛渡船2_convert_20111113103845
甚兵衛渡船




【 三つ目 】 千歳渡し船

この渡しは大阪港復興事業の一つとして大正区の内港化工事を行った際、既設の千歳橋が撤去され、その代わりの施設として設けられた。昭和30年7月にそれまでの民営から港湾局の所管とし(同32年6月直営化)、同39年建設局に移管された。大正区鶴町三丁目と同区北恩加島二丁目(岸壁間371メートル)間を運航している〔大阪市HPより〕

千歳渡船1_convert_20111113103916
千歳渡船

千歳渡船2_convert_20111113103949
千歳渡船




【 四つ目 】 船町渡し船

 船町渡船場は、大正区鶴町1丁目と同区船町1丁目を結ぶ(岸壁間75メートル)。平成20年度現在、1日平均約210人程度が利用している。昭和20年代後半から30年代にかけて、川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、その上に板を敷いて人や自転車が通行していた〔大阪市HPより〕

船町渡船1_convert_20111113104027
船町渡船

船町渡船2_convert_20111113104052
船町渡船

そこに見えるところまで




【 五つ目 】 木津川渡し船

大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目を結ぶ(岸壁間238メートル)唯一の港湾局管理の渡船である。昭和30年12月からカーフェリー(「松丸」134トン)が運航していた。乗用車から大型トラックまで運搬し得る能力を持っていたが、上流部に千本松大橋が開通した昭和48年の翌年からカーフェリーは廃止され、人と自転車のみを運ぶ渡船となった。利用者は大正区の工場に通う人や住之江区の木材関係で働く人がほとんどである。水がきれいになったためか、渡り鳥が飛来する姿が見られる〔大阪市HPより〕

木津川渡船1_convert_20111113104125
木津川渡船

木津川渡船2_convert_20111113104151
木津川渡船



と、大阪湾周辺の運河や川、五ヶ所で「渡船」を乗り継いで、やっと南港通りへ





いずれも「大阪市の公営渡船」で無料
昭和チックで、なかなかいいね




にほんブログ村 自転車ブログ 自転車旅行へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ







スポンサーサイト